准尊

准尊(じゅんそん、天正13年10月7日(1585年11月28日) - 元和8年4月24日(1622年6月3日))は、日本真宗興正派興正寺第十八世門主。は昭玄。十七世顕尊の子で本願寺第十一世門主顕如の孫にあたる。母は冷泉為益の娘・祐心尼。妻は毛利輝元の養女・長寿院妙尊尼(もと小早川秀秋正室、実父は宍戸元秀)。幼名は八十丸。諡号は不退院。

生涯

文禄3年、10歳の時に叔父で姉の夫でもある浄土真宗本願寺派・本願寺(西本願寺)第十二世門主・准如の元で得度する。だが慶長4年(1599年)、父の死後に興正寺を継承すると姉と不仲となり、伯父の教如がいる真宗大谷派東本願寺側に離反する。だが、説得によって慶長12年(1607年)に西本願寺側に復帰した。この間、慶長5年(1600年)に法眼、同6年(1601年)に大僧都、同7年(1602年)に法印に昇任している。

元和2年(1616年)に権僧正に叙せられた。

子女

  • 正室:古満姫(妙尊尼) - 毛利輝元の養女、宍戸元秀の娘
    • 長女:弥々(寿光院) - 水戸藩徳川頼房側室[1]
    • 次女:藤 - 名塩教行寺琇琢准超室[1]
    • 次男:准秀昭超 - 興正寺第19世[1]
    • 四男:准円昭陳 - 清光寺(萩市)初代門主[1]
    • 三女:千子(正覚院) - 毛利家家臣宍戸就尚[1]
    • 九男:良重 - 清光寺(萩市)第2代門主[1]
    • ほか

脚注

  1. ^ a b c d e f 真宗法脈史

参考文献

  • 『真宗法脈史』(中島慈応、明治44年、近代デジタルライブラリー公開)109ページ「准尊上人」
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。

  • 表示
  • 編集