足寄郡

北海道足寄郡の位置(1.足寄町 2.陸別町 薄緑:後に他郡から編入した区域)

足寄郡(あしょろぐん)は、北海道釧路国十勝総合振興局

人口8,198人、面積2,016.94km²、人口密度4.06人/km²。(2024年4月30日、住民基本台帳人口)

以下の2町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町から足寄町の一部(概ね平和・共栄町・上利別・上利別本町・大誉地を除く利別川以東)、陸別町の一部(トマム)を除いた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代の足寄郡域は、松前藩によって開かれたクスリ場所に含まれた。

江戸時代後期、足寄郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年足寄郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して足寄郡が置かれた。開拓使公文録では足寄に「アシヨセ」と訓が付されていたが、後に現在の「あしょろ」の読みとなった。

その他、古くから雌阿寒温泉が知られていた。

郡発足以降の沿革

北海道一・二級町村制施行時の足寄郡の町村(17.足寄村 18.淕別村 緑:足寄町 青:区域が発足時と同じ町村)
  • 明治2年
  • 明治3年
  • 明治4年6月 - 再び開拓使の管轄となる。
  • 明治5年
    • 4月9日(1872年5月15日) - 全国一律に戸長・副戸長を設置(大区小区制)。
    • 10月10日(1872年11月10日) - 4月に設置された区を大区と改称し、その下に旧来の町村をいくつかまとめて小区を設置(大区小区制)。
  • 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
  • 第24大区
    • 6小区 : 淕別村、利別村、足寄村、螺湾村

参考文献

関連項目

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